『トラブゾン狂騒曲~小さな村の大きなゴミ騒動~』井部正之氏トークショーに登壇

 

シアター・イメージフォーラムにて大ヒット上映中のファティ・アキン監督最新作『トラブゾン狂騒曲~小さな村の大きなゴミ騒動~』の公開を記念いたしまして、8月31日(土)13時の回上映後に、“他人事ではない”トークショー 第一弾として、井部正之を招きしてトークイベントを開催した。

 

トーク登壇者

井部 正之(いべ まさゆき)

ジャーナリスト/アジアプレス・インターナショナル所属 1972年、東京都出身。 ゴミ問題や環境汚染、産業公害の現状など、経済成長の陰で起こっている健康被害や環境影響を中心に取材している。

 

 

トーク内容

MC日本各地のゴミ問題についてどれぐらい取材されていますか?

井部90年代の終わりごろから、廃棄物や環境汚染の問題を断続的ですが取材しています。

 

MC:本作の感想をお聞かせください。

井部:観ていて腹立たしかったです。ゴミの問題の典型的な話ですね。自然の美しい農村などにいきなりゴミの問題が降って湧いて、行政や業者側の対応が悪く、汚染が実際におきてしまい、住民が反対して正論を言っても、全く受け入れられない。ゴミ問題の典型的なかたちで日本も一緒です。

 

MC地方の小さい村などにゴミ処理場が作られる傾向がありますか?

井部日本でもどこに作るのか、というのは大きな問題です。90年代以降、ゴミの公益化があり、いくつかの自治体を束ねて大きな施設を作るのですが、その中でも、一番大きな地域は当然人が多いので建設されない、どちらかというと田舎町に押し付けられるようになりますね。

 

MCトラブゾンの住民も臭いに苦しんでいましたが、色々な現場に実際に行かれてどうでしたか?

井部場所によりますが、ひどいところですと、人が死ぬレベルです。本作の中では「死体のような臭い」と言ってましたが、腐敗臭が中心なのか、ガス抜き管があって、そこからメタンガスが出ていて、硫化水素なんかもでていると思います。硫化水素は高濃度になると人が死にます。実際に福岡で3人亡くなっていて、それぐらい高濃度になることがあります。

 

MC本作の中で行政や業者とのやり取りで、怒りをぶつける住民が描かれていましたが、日本でもあのような激しいやり取りはあるのでしょうか?

井部日本も一緒ですね。問題を訴えても行政は聞いてくれないし、業者もいい加減な対応ということはよくあり、私が取材していた人たちの顔が浮かんできました。

 

MCゴミは毎日の生活の中で出ますし、処理場も作らなければならない。また、そこには住民がいるというのは、どこの国でも避けられない問題ですよね。本作から得る教訓とかはありましたか?

井部非常に難しいですが、どこにゴミ処理場を置くのかだけではなく、どうゆう物を、どう処理するか、防御していくか、色々なプロセスが大切です。水が漏れない、悪臭が全くない施設というのは、世界中どこにも存在しないです。完全な施設はないので、どこまでやるのか、どこまでお金をかけて、どこまでの処理をするのか、国民の合意、地元住民のご合意が必要です。それが大事ですが、日本でもトコでもおざなりにされている劇中の村長の言葉で「過ち正すために、新たに過ちを犯してはいけない」という言葉にはとても考えさせられました。

 

 

 

【あらすじ】

 

トルコ北東部トラブゾン地域の小さな村チャンブルヌ。『そして、私たちは愛に帰る』のラストシーンの舞台となったこの美しい村にゴミ処理場が建設されると知ったファティ・アキン監督は、その建設を阻止しようと無謀にも立ち上がる。素人が見ても溢れてしまうとわかるほど、あまりにも「ずさん」過ぎる政府の計画。そんな役人たちと住民とのやりとりは、真剣ながらも時にこっけいで、思わず笑ってしまう。しかし、小さな村の“騒動”を観ているうちに、決して他人事ではないことに気づかされる。中央の論理・利便が優先され、地方がそのしわ寄せを受ける構図は、いまの日本と同じ!?足掛け5年に渡って完成させた渾身のエコロジカル・ドキュメンタリー。

 

 

監督:ファティ・アキン 出演:チャンブルヌ村の人々

撮影:ブンヤミン・セレクバサン、エルヴェ・デュー、音楽:アレクサンダー・ハッケ、編集:アンドリュー・バード

2012年/ドイツ/98分/デジタル/11.85/配給:ビターズ・エンド/

公式HP www.bitters.co.jp/kyousoukyoku

8月17日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次ロードショー

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