市川團十郎さん 葬儀告別式に、弔問客2,500人が参列

27日(水)、歌舞伎俳優 市川團十郎さん(本名・堀越夏雄 )の葬儀告別式が、東京・青山葬儀所で営まれ、歌舞伎俳優や芸能関係者など、約2,500人が弔問に訪れ別れを告げた。

 

市川團十郎さんは、1946年江戸歌舞伎の名門・市川宗家十一代目團十郎の長男として生まれた。1953年に市川夏雄で初舞台を踏み、1969年に十代目海老蔵を、1985年に十二代目團十郎を襲名し、アメリカでの襲名公演を行った。2004年に急性前骨髄球性白血病を発症し、2008年には骨髄移植を受け、病魔と闘いながら公演を行っていた。4月の歌舞伎座のこけら落とし公演を病床で楽しみにしていたが、3日に肺炎のため亡くなられた。

 

遺影には昨年11月に撮影された黒紋付き姿の写真が使用され、祭壇には3,000本の白い菊などがあしらわれた。また、フランス政府から贈られた芸術文化勲章コマンドゥールなどが飾られた。

諡号(しごう) 『瑞垣珠照彦命(みずがきたまてるひこのみこと)』(美しく光を照らし出した人生を生きた人)

 

 

團十郎さんと60年の親交があった歌舞伎俳優 尾上菊五郎は「夏雄ちゃん、60年のお付き合い、本当に楽しかった。面白かった。そして、心より・・・心より有難うと申します」と、弔辞を述べた 。

 

喪主を務めた市川海老蔵は「とても寂しいです。しかし、父の子として生まれて、本当に幸せでした。父は若くして父を失い、また母を失い。そして、白血病という大病を二度も患い・・・苦労が絶えない人生でした。辛くて苦しいことがあるにも関わらず、我々家族の前ではいつも明るく、優しく、大きく、ドーンとした父でした。初めて父とお酒を飲んだ時に、父は十一代目團十郎と、そのような時を過ごしたことがなかったために、「孝俊(たかとし)とても嬉しいよ。幸せだ」と、いってくれたことが、とても思い出に残っています。生前の最後の言葉は、「いつも、みんなありがとう」でした。そんな優しい言葉をかけてくれるのだなと、びっくりした思い出がありました。人工呼吸器をつける時に、最後に話がしたいと・・・テレビ電話で会話をしたときに、(人工呼吸器で呼吸が辛いにもかかわらず)テレビ電話で見えた父の顔は、とても優しく、いつもと同じような笑顔でした。目を閉じるとその時の父の笑顔が瞼に焼きついています。先日、父が残した句が出てまいりました。(この句は、團十郎さんが昨年12月頃に、パソコンに残していたものが最近見つかったとのこと)

その句は『色は空 空は色との 時なき世へ』初めてそれを見たときに、自分の最期を悟っていたのだと・・・。気づかなかった。大変申し訳なく情けない思いがしました。父は空や宇宙が大好きでした。父はみなさまに感謝する心というものを、とても大切にする人でした。そんな父に成り代わりまして、みなさま、本日は本当に有難うございました」と、参列者に感謝の言葉を述べた。

また、葬儀告別式後の会見では「昨日の(尾上菊之助さんの)結婚式もありましたし、今日でとりあえず歌舞伎界としても、そういったことは納めて、3月からは新しい話題で、少しでも明るい話題が提供できるように、みんなで頑張っていきます」と気丈に語った。

 

海老蔵は團十郎さんの思いを胸に、3月3日(日)から「三月花形歌舞伎」の舞台にたつ。

 

<関係者弔問客>




坂田藤十郎、尾上菊五郎、森喜朗、松本幸四郎、中村橋之助、市川染五郎。市川猿之助、

市川中車、尾上菊之助、坂東玉三郎、坂東三津五郎、中村勘九郎、中村七之助、中村獅童、

片岡仁左衛門、片岡愛之助、北大路欣也、米倉涼子、仁科亜希子、西郷輝彦、なかにし礼、

宮本亜門、水谷八重子、藤村志保、王貞治、篠山紀信、中谷美紀、野田秀樹、松あきら、

波野九里子、徳光和夫 他

 

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