中村勘三郎さんの本葬に12000人の弔問客が参列

27日(木)、東京・築地本願寺本堂にて、今月5日に急性呼吸窮迫症候群のため亡くなった歌舞伎役者・中村勘三郎丈葬儀告別式が営まれ、多くの関係者や一般の弔問客など12,000人が訪れた。

 

遺影は平成17年 十八代目中村勘三郎を祝う会にて篠山紀信氏が撮影した写真が使用された。祭壇は十七世中村勘三郎(昭和63年4月16日没)の本葬と同じように揃えてある。そして、カーネーション1,500本、胡蝶蘭150本(全て白)で埋め尽くされた。また、会場には全て篠山紀信氏撮影の写真が飾られた。(『籠釣瓶花街酔醒』、『髪結新三』、『京鹿子娘道成寺』、『野田版 研辰の討たれ』、『一條大蔵譚』、『身替座禅』、『春興鏡獅子』、『め組の喧嘩』)戒名は「演暢院釋明鏡大居士(えんちょういんしゃくみょうきょうだいこじ)」 。会場では初舞台の『音噺桃太郎』(昭和34年4月歌舞伎座)から『め組の喧嘩』(平成24年5月平成中村座)までの当り役の数々と、プライベート映像が流された。


弔問客

一般弔問客:10,000人

関係弔問客:2,000人

報道陣:300人

 

(※クリックで画像拡大)

 


勘三郎さんの遺骨の乗せた車は午前9時に東京都文京区の自宅を出発し、平成中村座公演場所の浅草・隅田公園では平成中村座でも使用された御神輿を浅草の方々が担ぎ、芸者衆が繰り出し、最後の花道を賑やかに送り出した。来年4月完成予定の歌舞伎座に立ち寄り、闘病中は歌舞伎座のこけら落としの舞台に立つことを励みにして復帰を目指したこともあり、勘三郎さんの夢を叶えるために、完成途中の歌舞伎座の中へ入ることが許された。そして松竹本社、新橋演舞場など勘三郎さんゆかりの地に魂を宿した後に築地本願寺に到着となった。大竹しのぶ、野田秀樹、幼馴みで歌舞伎役者の坂東三津五郎、片岡仁左衛門などが弔辞を述べた。

 

坂東三津五郎は「君は僕の半年前に生まれ、気づいたら僕の前を歩いていました。小学2年生のときに、白浪五人男で初めて共演した時には、あなたはもう天才少年、勘九郎坊や として人気でした。その後も、君はずっと僕の前を歩き続け、僕は、あなたに遅れまいと、離されまいと、必死に走り続けてきました。だから、いまの僕がある のはまったく君のお陰で、心から深く感謝しています。・・・これで、しばらくは一緒にやれなくなったけれど、僕がそちらに行ったら、また、一緒に踊ってください。そのときのために稽古しておきます。最後に、僕達同世代の役者。また、君に続く後輩たちを代表して、この言葉を捧げます。中村勘三郎さん、波野哲明さん、今日まで本当に、本当に、ありがとうございました。」と、50年来の友人に涙で弔辞。


大竹しのぶは「天日坊を観た時、『あいつら(勘九郎・七之助)良かったでしょう?まだまだだけど、俺のスピリッツは受け継いでくれたかな』と言っていた6月。あなたの魂を受け継いだ勘九郎がいます。七之助がいます。七緒八くん(孫)がいます。その答えを彼らが出してくれる日まで私たちは頑張っていきます。前よりも、もっともっと大きな力を持った哲明さん。この3人をそして愛ちゃんを見守ってください。そして何よりも、あなたの愛してやまない好江ちゃんにも力を貸してあげてください。哲(のり)さん…、大好きですよ。・・・これからも。ありがとう。またね」と声を詰まらせながら弔辞を述べた。

 

勘三郎さんの舞台で脚本を手がけたことのある渡辺えり子は「やはり、別れるのは嫌・・・。安らかに眠ってくださいと言うのでしょうけど、お化けでも何でもいいので出てきて欲しい。お別れしたくない・・・それが正直なところ・・・。(勘三郎さんは)人を大事にする人でした。一度好きになったら最後まで大事にする裏切らない人」と名残惜しんでコメントした。

 

喪主の中村勘九郎と七之助は「こんなに愛されている人の息子に生まれたこと、本当に幸せです。これからは父が愛した厳しい歌舞伎の道をしっかり前を向いて進むしかありません偉大な父を亡くしてしまい七之助と途方に暮れております。どうぞ助けてください」と心中を明かした。「愛をくださった皆様に、父になり代わ りまして、お礼だけいわせてください。中村勘三郎を波野哲明を愛してくれてありがとうございます」と、涙をこらえ声を震わせて感謝の言葉を述べた。

 

本葬後の会見では勘九郎は「中村座へ行く沿道で、道行く人がみなさん手を合わせてくれて、車の中で七之助と話したのですが「(勘三郎さんは)”すごい人だな”とというのを改めて知りました」と、父・勘三郎さんの偉大さを改めて感じたことを語った。

完成途中の歌舞伎座を見た七之助は「(以前の歌舞伎座と比べて)変わっていないなと思いました。舞台をみた時に、父とまた一緒に芝居をしたかったなと思いました」と、勘九郎は「すごく喜んでいたと思います。歌舞伎座が昔のままだったので・・・。あの光景をみたら、一番喜んでいたんじゃないかな」と、完成間もない歌舞伎座の感想を語った。

10,000人の一般弔問客についても「本当にありがたいですね」と感謝の言葉をコメントした。「一日一日の舞台をきちんと務めるということを心がけていましたね」と亡くなってからの心中を語り、何度も東京・京都を往復したことについては「大変ではなく、僕らも父に会いたかったので」とコメント。襲名公演のため勘三郎の密葬に参列できなかった二人は「それは逆で・・・稽古で積み重ねていた体がなくなってしまうのですから、役者は体で勝負していますから、それがなくなってしまうのは、一番辛い。焼き場に行けなくてよかった。とてもじゃないけど行けなかった」と、心中を明かした。「家族の強さ・・・波野家は最強だと父がいっていた通りのことを続けていきたいですね。僕達は”ありがとう”といえる人になれと育てられましたから」と、父の言い伝えを引き継いでいくことを、自分に言い聞かせるように語った。

「表現者たるもの・・・こうやって人に愛されて、それを返せるだけパワーを貯めて出さないといけないな。だから僕達もまだまだ。二人いるという強みを、みなさんに助けてもらいながら歌舞伎を続けていきたいですね。”諦めないこと。そして心の底から歌舞伎を愛すること。”これは父がずっと思っていたことでしたし、言うだけでなく家でずっとその姿を見ていましたので、本当にそれは見習わなくてはいけないと思うこと」と、父の偉大さを改めて振り返りながら語った。

最後に「本当に支えてもらっていたと感じています。父もいっていましたが、いろんなところで(公演を)やると「待ってました」という気持ちで観てくれる・・・それが自分のパワーになるといっていましたので、父の舞台はもう観れないですけれど、僕達がその魂と意志を引き継いで、みなさまのもとに伺いたいと思います」と、弔問に来れなかった勘三郎さんのファンの方々へメッセージを伝えた。

 

本葬で弔辞の音声が築地本願寺に流れると、松竹、新橋演舞場、歌舞伎座など歌舞伎関係スタッフなどからも、すすり泣きや涙を拭う姿も見られ、だれからも愛されていた勘三郎さんを惜しむ光景は伺えた。

 

来年4月の歌舞伎座のこけら落とし公演の6月までの3カ月間の演目は、4月公演(2~28日)第1部で、5日に亡くなった中村勘三郎さんの“追悼演目”の上演が予定されている。

 

(関係者弔問客 写真)




歌舞伎関係者の他に・・・長嶋茂雄、王貞治、江川卓、大竹しのぶ、野田秀樹、渡辺えり子、和田アキ子、大村昆、郷ひろみ、東山紀之、嵐(大野智、桜井翔、二宮和也)、香取慎吾、草剛、伊藤英明、阿部寛、武田鉄矢、奥田瑛二、柄本明、吹越 満、妻夫木 聡、深津絵里、宮藤 官九郎 、みのもんた、岸部一徳、風吹ジュン、真矢みき、牧瀬里穂、長谷川京子、榊原郁恵、水谷八重子、朝丘雪路、五木ひろし、石川さゆり、周防正行、草刈民代、六角精児、吉沢京子、高橋恵子、小倉久寛、司葉子、千代の富士 貢 、永島 敏行、松村邦洋、山本陽子、白井晃、鳩山由紀夫、仁科亜希子  他

 

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